♪い〜い〜な い〜い〜な に〜んげ〜んて い〜い〜な
日本昔話のエンディングと共に
本当にでんぐり返ししていました

ちびりんです

昨日紹介した琴平の民話、
『こんぴらさんのだるま』の続き・・・
素直に続けると、
「『旭社』ができたくらいから現代まで脈々と受け継がれ、
『讃岐一刀彫』と呼ばれています

と、なるんですが、実はそこには大きなブランクが


なんと意外なことに、
明治以前、『讃岐一刀彫』は確立していなかったのです

そのブランクを見事突破し、
現代に讃岐一刀彫を確立する鍵となったのが
コチラのお店

讃岐一刀彫『山中象堂』

初代『山中象堂』さんのお孫さん、
3代目『山中象堂』さんにお話を聞きました


実は、
明治以前のお土産はうどんや飴といった
食べ物が主流で、工芸品がなかったそう


そこで立ち上がったのが、
初代『山中象堂』さんをはじめとする、
工業徒弟学校の初代卒業生たち

現在で言うところの
工業高校のような感じで、
学科は「彫りもの」と「ひきもの(陶芸)」、
場所は今の『海の科学館』のあたり

琴平に伝統工芸を

生まれたのが『讃岐一刀彫』

だから思ったよりも若い工芸品

短い期間でこんなにも定着するお土産を開発するとは、
徒弟学校恐るべし


さだかではないけれど、
もしかすると『こんぴらさんのだるま』の話を知っていて、
そこから思いついていたとしてもおかしくないとのこと

いや〜〜どちらにしても、
本当にありがとう


危うく讃岐一刀彫が生まれないところでした

『山中象堂』Aにて、
讃岐一刀彫の特徴、『山中象堂』の一刀彫に迫ります

お楽しみに

