2012年03月27日

山頂に佇む巨大な銅像の偉人!



どうも、モコです手(パー)

この銅像の人
琴平町ではお馴染みだよね手(チョキ)

120327_01.jpg

そうです
大久保ェ之丞ひらめき

琴平町にとっても貢献してくれた
ェ之丞さんexclamation
瀬戸大橋を架けてくれたり
鉄道をつなげてくれたり
金刀比羅宮への参拝客が
全国から来やすくなったのも
この人のおかげだよねぇわーい(嬉しい顔)

それだけでなく
いっぱい香川県に貢献してくれた
功績をたたえて
この銅像は
通称・金山寺山の山頂に
建てられていますよぴかぴか(新しい)

下から見ると
こんな感じあせあせ(飛び散る汗)

120327_02.jpg

遠くから見てこの大きさだから
近くで見るとめっちゃ大きいんだよひらめき
ぜひ実際に見て欲しいなぁ目

さて、この大久保ェ之丞の
先見性や実行力を称えて
三豊市では
毎年「ェ之丞まつり」
行われているって知ってた?

この「ェ之丞まつり」
4月7日〜8日に
たからだの里周辺(三豊市財田町)で
行われるんだけど
今回で27回目を迎えるそうひらめき

バーベキューやバザー、
ステージショーがあって
賑やかに過ごせそうだよねわーい(嬉しい顔)
それに花火大会もあるんだってexclamation×2
春に見る花火っていうのもいいかもるんるんるんるん

「ェ之丞まつり」については
4月1日(日)9:30〜
FM香川で放送している
「週刊みとよ ほんまモン Radio!」
紹介してくれるそうひらめきひらめき

現在、番組ブログ
この「ェ之丞まつり」
バーベキュー券のプレゼントもしてるみたいぴかぴか(新しい)
こちらのラジオとブログも要チェックわーい(嬉しい顔)


posted by こんぴら観光案内所 at 23:30| Comment(0) | → 琴平町周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

与謝蕪村について、もうちょっと!
妙法寺




どうも、モコです手(パー)

琴平町公会堂にある句碑
「象の眼の 笑いかけたり 山桜」
これを詠んだのが
有名な俳人・与謝蕪村exclamation×2

与謝蕪村を調べてみると
明和3年〜5年に
香川県に滞在して
琴平町で句を詠んだって話ひらめき
当時、丸亀市にある妙法寺
檀家総代を務めていたのが
菅暮牛って人exclamation×2

この菅暮牛って
琴平町に住んでいて
望月宋屋門下の俳人だったんだってかわいい

彼を訪ねるべく
丸亀の港に船でやってきて
一夜の宿を借りようと
この妙法寺を偶然訪ねたそうダッシュ(走り出すさま)

120323_01.jpg

120323_02.jpg

なんとその時、蕪村は無一文だったんだってあせあせ(飛び散る汗)

その後、暮牛に会って
再び妙法寺にやってきた時
当時の住職と意気投合して
交流が始まったそうわーい(嬉しい顔)

それから数回、妙法寺を訪れて
泊まったりしてたそうexclamation×2
その時に、お礼を兼ねて
客殿の襖に絵を描くなどしたんだってひらめき
そして、ここでも俳句を残していました手(パー)

境内には、二つ句碑がありましたぴかぴか(新しい)

「長尻の春をたたせて棕梠(しゅろ)の花」

120323_03.jpg

ちょっと長く滞在しすぎたかなぁ・・・
っていうことを詠んでいる句exclamation


「門を出れハ 我も行く人 秋の暮れ」

120323_04.jpg

こちらは蕪村が妙法寺を去って
6年後の作品で
門を一歩出れば自分も道行く人の一人で
ひとしお寂しさを覚えるという
秋の夕暮れの情趣が味わえる作品ですよねわーい(嬉しい顔)


句を詠んだり
絵を描いたり・・・
蕪村がいろんな作品を残していることもあって
この妙法寺は
別名「蕪村寺」と言われているんだよひらめき

丸亀市の富屋町商店街の中に
ひっそりとあるお寺
文学に触れるいい場所かもるんるんるんるん

120323_05.jpg


〔天台宗 妙法寺(蕪村寺)〕
丸亀市富屋町9番地



posted by こんぴら観光案内所 at 23:25| Comment(0) | → 琴平町周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

こんぴらさん縁の灯籠!
太助灯籠



どうも、モコです手(パー)

江戸時代に一大ブームを
巻き起こした
こんぴらさんへの参拝かわいい

全国各地から
この香川県へ人々がやってきましたるんるん
その時は橋もないので
船でみんな来てたんだよね船

その船が着くのが
丸亀港だったのです手(チョキ)
そこには大きな目印として
太助灯籠exclamation×2

120311_02.jpg

青銅製で
高さ5.28mもあるんですexclamation×2

丸亀にもともとあった港が
あまり大きくなかったため
こんぴら参拝のお客さんで
船が多く行き来するのに手狭に・・・あせあせ(飛び散る汗)
港を埋め立てて、
新しい港を作ることにしたのです耳

でも、港を作るには
とってもたくさんのお金がかかるんだよねふらふら
そこで、今も残っている
船着き場「新堀湛甫(しんぼりたんぽ)」に
江戸に住んでいた人々(千人講)が
お金を出し合って
作ってくれたのですぴかぴか(新しい)

120311_03.jpg

120311_01.jpg

その時、
港を作りたいexclamation
こんぴらさんにも行きたいexclamation
そのために目印になる灯籠も作りたいexclamation×2
そんな想いから
この燈籠が作られたんですってぴかぴか(新しい)

寄付金を出した人の中で
一番多くお金を出してくれた
「塩原太助」の名前にちなんで
「太助灯籠」と呼ばれるようになりました手(パー)

この塩原太助さんって
五代続いた名前だそうですが
その二代目と寄付金の話をしていたそうかわいい
で、寄付金をもらいに行くと
二代目は亡くなっていて
三代目に相談がく〜(落胆した顔)
三代目が・・・
「え?お父さんがそんな約束したって?」
ということで仕方なく
三代目がお金を出したんだってもうやだ〜(悲しい顔)
そんな大金は持ってなかったため
年賦にして払って
とっても苦労したんだってたらーっ(汗)

でも、すごいよね
ちゃんと約束を守ってくれたんだからるんるん
この港や灯籠ができたんだもんねかわいい

こんぴら参りには欠かせない
灯籠なんだから
みんな感謝しただろうねexclamation×2

この灯籠の横には
瀬山登の銅像が静かに座っているexclamation

120311_04.jpg

太助灯籠が江戸で作られて
丸亀まで送っていたんだけど
幕府勘定方を接待しなければいけなくて
当時、丸亀藩江戸屋敷には
お酒が飲める担当者がいなかったそうで
瀬山登が一人で引き受けてたんだってパンチ

そして彼は
江戸屋敷の隣にある九州中津藩から
“うちわ”の作り方を教わってたんだってexclamation×2
習った竹うちわに、松脂(まつやに)を塗って
涼しげな“硝子団扇(がらすうちわ)”を開発して
こんぴら参りに来る客に売って
幕末には丸亀は
全国一の団扇の生産地になったって話ぴかぴか(新しい)
この瀬山登さんの功績も大きいよね手(パー)

ま、この成功は
やっぱりこんぴら参りに目をつけたって
ことなんじゃないかなわーい(嬉しい顔)



〔太助燈籠〕
丸亀市西平山町新堀湛甫入口



posted by こんぴら観光案内所 at 22:39| Comment(0) | → 琴平町周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。